この文章は、過去に公開した記事を、ブログサービスの終了に伴い再編集したものです。
内容の一部は、公開当時の状況や個人情報に配慮して修正しています。
(2010年8月11日の記事)
訪問マッサージの東京在宅サービス
地域担当営業のみなとです。
夏は良い季節ですね。
ただ、ふとした瞬間に、
何とも言えない不安感が忍び寄ることがあります。
そして、こう思います。
「あの日も、
こんなに暑かったのだろうか?」
今日のテーマは「暑い夏の日」です。
■ 忘れられない記憶
今回は、以前にも登場したHIマッサージ師とのエピソードをご紹介します。
ある暑い夏の日、
私はS区にお住まいの女性Yさんのお宅へ、
お試しマッサージで訪問しました。
マッサージの前に、
Yさんからお辛い場所について伺いました。
「全身が痛いのよ」
Yさんは
首や肩、足、腰の痛み、
手の力の入りにくさ、
椎間板ヘルニアや坐骨神経痛など、
全身の痛みを訴えていました。
面談の後、
早速お試しマッサージを始めました。
施術中にYさんは昔の出来事を話し始めました。
「私はね、戦時中は満州にいましたのよ。
6月までは満州にいて、
それで実家に帰って務めるよう指令が出たんですね」
実家が広島だと聞いた私は、思わず尋ねました。
「じゃあ…」
「そこで被爆しましてねぇ…」
■ 黒い雨が降った日
私が長崎出身だと話すと、
Yさんは親近感を抱いてくれたようでした。
「身体中が痛くなったのは、
それからなんですよ。
当時は医者も脚気だと言っていましたが、
まさか爆弾のせいだなんて誰も思いませんでしたからねぇ」
Yさんは当時の様子を鮮明に覚えていました。
「高台にある女学校の中にいて、
空襲警報が鳴って外に出たら、
それはもうすごい光と音と熱で…。
それから、本当に、本当に黒い雨が降ってきたんです。
しばらくして下を見ると、
遠くの方から『助けてくれ〜』って声がして。
よく見ると、腕の下に何かがぶら下がっているんですよ。
皮膚がめくれて垂れ下がっているなんて、
想像もできませんよね」
私は想像できました。
小学生や中学生の頃、
長崎では毎年8月9日に全校生徒で黙祷を捧げ、
校内には原爆写真展が飾られていました。
目を覆いたくなるような写真が、
毎年、目に焼き付けられていたからです。
だからこそ、
私は核兵器は絶対に使ってはいけないと、
心に強く刻まれています。
■ 生き抜いたからこその強さ
Yさんは、
広島の川に水を求めて飛び込んだ人々の死体がたくさん浮いていた話や、
街中がひどい臭いで、身を隠すたびに死体があったという壮絶な話を
たくさん語ってくれました。
そしてYさんはこう言いました。
「私は運が良かったのかもしれないって思うんです。
満州から終戦前に帰国して被爆はしましたが、
戦後に引き上げてきた人の中には、
本当に辛い目に遭われた方がたくさんいるんですよ。
特に女性はね。
私は結婚もして、子どももできて、
70歳まで働けた。
身体が痛いのを除けば、
平凡な人生を送れたんですから」
どちらが良かったという比較論ではないと思います。
しかし、比較することで、
自分はまだマシだったと思わないと生きていけなかった、
そんな時代があったのだと感じました。
私たちがYさんにできることは、
マッサージを通じて少しでも心地よい時間を過ごしてもらうこと。
そして、この悲惨な記憶を風化させないことだと思います。
お試しマッサージが終わり、
Yさんの保険証と被爆者手帳を確認しました。
実は、被爆者手帳をお持ちの方は、
無料で医療マッサージを受けることができるのです。
全身が痛いYさん。
少しでもその痛みが和らぎ、
辛い記憶を忘れる時間が持てたらと願っています。
夏は良い季節です。
ただ、ふとした瞬間に、
何とも言えない不安感が忍び寄ることがあります。
そして、こう思います。
「あの日も、
こんなに暑かったのだろうか?」
あなたに笑顔と悦びを。
訪問マッサージ東京在宅サービス
営業のみなとでした♪